- 高島呑象 (たかしまどんしょう) … 実業家、易断家。名は嘉右衛門 (かえもん)、嘉兵衛 (かへい)
- 中国で衰退した易学の伝統を守った
- 易 … 中国の占法、占いのこと
- 伊藤博文は人智を超えた世界からの指示、すなわち、嘉右衛門の易断に頼らざるを得なかった。実に多くの政治家が易断に頼っていた
- ホロスコープ … 星占い
- 蒲柳の質であった
- 六諭衍義 (りくゆえんぎ) … 鉢大将軍吉宗が自ら先頭に立って刊行した庶民教化のためのテキスト。
- 六喩
1. 父母への孝行
2. 目上への尊敬
3. 同郷人との親睦
4. 子供の善導
5. 自分の立場をわきまえること
6. 悪事を働かない
- 六喩
- ペリーが浦賀に来る 9 年前に西洋事情を学んでいた
- ケカチと呼ばれる餓鬼 … 夏の間に「やませ」と呼ばれる北から冷たい風が吹くと、南部藩の米の収穫高は一気に落ち込む
- 次姉の養子による接待 (女遊び) で実家は借金まみれ
- 山口千枝という人相見
- 一万両は 110kg 以上。なお、一万両は現在の 5,000 万円相当
- 日本の金と銀の交換比率は 1:5 、国際は 1:15 、外国人と取引をしたらかなり儲かると知る。 幕府の役人は国際経済に疎かった
- 病人の顔に濡れ雑巾をかぶせでみぞおちを踏む。病人は死ぬ
- 安岡正篤をもってしても易学、易経はわけがわからない
- 易を会得するには、一つの外国語をマスターする以上の熱意と努力が要求される
- 江戸時代では、獄中に金を落ち込まないとひどい目にあった。番人 (看守) は、それが結果的に自分たちの懐を潤すのを知っていたため、検査は甘かった
- 脱獄事件で右手の筋を切られた
- 釈免され、若い妻は亡くなっていた。その後、嘉兵衛は嘉右衛門に改めた
- 当時の横浜には金儲けの機械を探している外国人が大勢いた
- 年棒千両 (約 500 万円) で通訳の横山孫一朗を雇用
- 日本初の為替のディーラー
- 遊女の白菊は 18 年で劣化
- 鉄道への貢献と日本政府の裏切り
- 性病の蔓延を防ぐ遊郭の効用
- 嘉衛門も「富国強兵」 を実現するための人材養成が何より大事であることを確信していた。 国民全体の知識水準の底上げとともに、教育、すなわちエリートの養成に力を注がなければならないことを深く認識していた
- 明治初期、ガス灯はまさに文明開化のシンボルであり、近代産業の息吹を伝えるものだった。このガス灯を作ったのもまた嘉衛門であった
- 嘉衛門こ事業は、後に東京ガスが引き継いでいる
- おおらかな正妻のくら。愛妾のキンは互いにうまがあった
- 別れた遊女たちからは感謝され、正妻には愛され、側女 (そばめ) からも慕われた嘉衛門は男の中の男
- 嘉衛門は「占い」は「売らない」であり、 金を取って行うものではないと口癖のように言っていた
- 他人が不幸になるため、易を以って相場はしなかった
- 世の中の役に立たない学者に対する「手足の生えた本箱」といった批判に感心したものである
- 嘉衛門の実践的な易学の講義は「斯文会 (しぶんかい)」の呼び物となった。斯文会とは東洋の学術文化の交流を意図した岩倉具視 (いわくらともみ) が創設した
- 嘉衛門がウィスキーを作ろうとした記録がある
- 事業は私利私欲のみで行うものではなく、天下万民のために行うものという嘉衛門の理念
- 嘉衛門は、伊藤博文の安重根による暗殺を予言していた
- 嘉衛門と伊藤は女と碁が大好きだった
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