こちらの記事がおもしろく、本を購入してみた
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72988
なお、この本は、ある程度の横文字と MARVEL の知識が必要だろう
個人的な課題メモ
- 良いメディアってなんだろう
- 日常のハック
- 歴史や自然に触れることは大切なのか。考えてみよ
- あらゆる「自由に設定」できることを考え直す
- 批評について反芻だ
第 1 章
- 平成とは「失敗したプロジェクト」である
- 旧い日本人たちは「打ち合わせ」という名の上司や取引先への愚痴大会が稼働時間の大半を占める
- 1 周遅れの日本は、オールドタイプの知識人やジャーナリストが、欧米のグローバル資本主義やシリコンバレー的な技術主義に対して批判する潮流が歓迎されている
- インターネットをテレビのワイドショーのようにしか使えない人たちを軽蔑する
- 同感である。チラシの裏とはよく言ったものだ
- 新国立競技場 = 何一つ戦果を上げることなく、沖縄の海に沈んでいった戦艦大和
- 意識高い系がトランプを大統領に押し上げた
- 相反する者たち
- Anywhere な人々はヒッピーカルチャーから生まれた
- Somewhere は境界に心を置き、「どこか」を定めないと生きていけない
- 両者を隔てる決定的な違い。それは世界を素手で触っているという感覚。Anywhere の人々は自分たちの仕事が市場を通じて世界を変える可能性を信じて生きることができる
- 日本の三権のうち司法は相対的に弱い。最高裁判所の人事権を内閣が握るため、有名無実化となっている
- 人間のもつ主体性。このどちらも持っており、中間をさまようのが人々
- 市民 = すべての選択を自己決定できる能動的な主体
- 大衆 = すべてを運命に流されていく受動的な主体
- 映像の世紀 (20 世紀) から考えるメディアのターゲット
- 映画は能動的な観客を想定。→ 市民
- テレビは受動的な視聴者を想定。→ 大衆
- では、インターネットは?能動的に配信もできれば通知を受動的に受け取れもできる中間のツールだ
- 中間をさまよう人間のもつ主体性に初めて適したメディアといえる
- ノイズだらけの肥大化したソーシャルネットワークからの離脱
- ex) 良質な情報は有料サブスクへ閉じる
- ex) 信頼性の高いコミュニティはオンラインサロンへ閉じる
- 適度に閉じたのがいいな。適度に
- クラウドロー (Crowdlaw) … シビックテック運動の手段のひとつ。オンラインのロビイングの市民向けか
- シビックテック (civic = 市民 + tech = テクノロジー) の造語。市民が情報技術を活用して社会の課題を解決する
- ex) 台湾の vTaiwan … 参加者は主に現地のシビックテックの団体メンバー。メンバーはそれぞれの職業で培われた専門性を発揮し、適切なルールを策定して行政に提案する
- https://info.vtaiwan.tw
- 台湾には Join という討論プラットフォームを政府主導で運営されている
- 運営: vTaiwan = 市民のもの、Join は政府のもの
- 参加者 (2018 年時点): vTaiwan = 20 万人、Join = 500 万人
- 特色:
- vTaiwan は専門性がある課題を議論される
- Join は広範な市民生活の課題 (病院、公園など) の整備、犯罪防止などが取り上げられる
- ex) スペインの Decide Madrid
- ex) アイスランドの Better Reykjavik
- ex) 日本の https://pnika.jp
- 資金集めていたが失敗していた。このページ、Script が破壊的なので開くの注意: https://camp-fire.jp/projects/view/182706
- 活動は全然ないようだ。メンバー不足だろうか、目的意識だろうか
- ex) 台湾の vTaiwan … 参加者は主に現地のシビックテックの団体メンバー。メンバーはそれぞれの職業で培われた専門性を発揮し、適切なルールを策定して行政に提案する
第 2 章
- 映像の世紀 (20 世紀) は「他人の物語」
- 21 世紀の「他人の物語」は 20 世紀のリブートがほとんどになるだろう
- 新世代にとって「他人の物語」はウケないのかもしれない
- Tiktok, Instagram がそうだね
- 「他人の物語」でしかありえない小説を「自分の物語」に錯覚させる手法が開発されたが終わりを告げた
- 「自分の物語」を語る快楽を覚えてしまった人々は、モニターの他人に感情移入するよりも、セミナーでの著名人とのセルフィーを Facebook のウォールにアップロードするのに夢中になる
- 常に誰かとつながっている安堵感を知ってしまった
- 「自分の物語」の例。これらの動員が伸びている
- Tiktok, Instagram, Facebook, Twitter などの SNS
- フェス
- ライブカルチャー
- 観光
- ライフスタイルスポーツ (ランニング、ヨガなど)
- ポケモン GO
- Ingress やポケモン GO は上記の伸びる動員の要素を含んだ「自分の物語」を追求し得る能力をゲーミフィケーションによって実現した
- Google+ が撤退した理由がここにある。大衆が「自分の物語」を求めた結果、同じようなセルフィーがウォールにアップされ、それらは空疎で凡庸で画一的にものとなってしまった
- しかし、ポケモン GO は大成功でもハリーポッターは大失敗だからな。コンテンツ力 (Somewhere の支援ツール) がまだまだ必要よ
- より「自分の物語」を。仮想ではなく、「ここ」をより豊かにするための拡張現実
- 虚構より刺激のある現実を求める
- ああ、だから虚構の中でも刺激が強い “死” が頻繁にある医者や刑事ものドラマが多いんだな
- 究極の刺激って死なんじゃないの。でも、「死」はプログラミングできないよな。(インターステラーでも言ってたね!
- 日常のハック
- 世界と出会わせることをテーマにした位置ゲー。しかし、 大抵は、 Google Maps の利用、最適なルートによって世界と出会わないために利用されているだろう
- ポケモン GO は成功の反面、Google 的な本質にある直接性を減衰させつつある。それは、ネットの攻略サイトによる効率化により、世界と (歴史や自然) と接続されなくなっているだろう
- 世界の直接的に触れれる (出会える) 人間にとってはゲーミフィケーションは必要ない。彼らはポケモンの支援を必要としない一握りの才能に恵まれたエリートのみだ (Anywhere)
- 能動的に触れれる情報がある人は素晴らしいな
- 受動的に、ポケモンなどの支援がなければ情報に触れられない人が大衆だ (Samewhere)
- この問題は今は旬であり、今後も継続されるだろう
- 非日常への動員 (ポリピュリズム) に対抗し得る回路を作るには、日常へのアプローチが必要
- 他人 ↔ 自分、非日常 ↔ 日常
- 他人 x 非日常: 劇映画やニュース映画
- 他人 x 日常: Netflix などストリーミング配信によって生活の一部 (日常) となった
- 自分 x 日常: ここがブルーオーシャンだろうか。ヨガ、ランニングへの移行はややある程度だがな
- つまり、ここが共同幻想からの自立だろうか?
- 現代においては、自己幻想からの自立にこそ重要だろう
- 自分 x 非日常: ライブなどの現場に足を運び参加、そして SNS へ発信、Ingress 、ポケモン GO
- 自分 x 日常 が鍵だ。日常に着地したまま個人が世界に接続することだ。人は世界に素手で触れられる幻想をそれに溺れることなく受け止めることができる
- 吉本隆明 「もし “民主制” になんらかの価値があるとすれば、それは崇めなくてもよいからだ」
- かつて学生反乱の季節に、若者たちに絶大な影響力を行使したイデオロー
- 代表作「共同幻想論」
第 3 章
- 吉本隆明の唱える「共同幻想からの自立」
- 共同幻想論では、人間がその世界を認識するために、三つの幻想が機能すると主張された。これらの三幻想を逆立 (それぞれ反発しながら独立している状態) するものと考えた
- 三幻想を現代に置き換えると
- 自己幻想 = 自己像 = プロフィール
- 対幻想 = 1 対 1 の関係、あたなと私はこのような関係と信じる幻想 = メッセンジャー
- 共同幻想 = 集団が共有する目に見えない存在のこと = タイムライン
- 詳細は位置 No. 1526
- 家族は対幻想の集合体
- 夫婦は (性愛的な対幻想、非公開的) メッセンジャー
- 兄弟 (友愛的な対幻想、公開的) はフォロー
- 国民は同じ親 (国家) をもつ兄弟となり、対幻想の組み合わる “操作” により共同幻想に拡大される
- この “操作” が宗教であり、イデオロギーだ
- 吉本は、性愛的な対幻想 (つまり閉じた世界) にアイデンティティを置くことで共同幻想から自立できると指針した
- あなたと私の関係や行為が世界にとって意味がなくても互いに承認して完結することだ
- やっぱり、こっそりボンボンや!!!!
- (学生運動など) 革命という非日常への動員、戦争の犠牲 (他人の物語) への感情移入から就職や結婚、労働や育児という「自分の物語」への回帰
- その後、社会共同体の歯車となった彼らは思考停止となり、本質的に「自立」できなかった
- それが高い生産性となり高度成長とはなり短い覇権を支えた
- それでは現代ではどうすれば「自立」となるか
- 吉本が押した家族と生活は “自分 x 日常” への回帰
- 当時は、郊外の住宅に妻を軟禁して、思考停止して家族を支える歯車になるヒロイズムを共有していた
- 妻と子をまもることにアイデンティティを見出す。つまり、妻の自立は認めない
- これを免罪符に思考停止
- 誰ともつながらない時間として相対的にあるのが「モノ」に接する時間。現代では希少
- モノ、コト
- モノ: 丁寧な生活、生活
- コト: 承認、政治、イデオロギー
- インスタ映えの「モノ」は「自分ごと」として消費される
- Instagram のいいねの数非公開は、共同幻想から対幻想の側に戻す操作だっただろう
- SNS と三幻想、私たちが欲望してきたこと
- 閉じたグループの中で長文を投稿して「いいね!」を集める彼らは、果たして対幻想に依拠して自立していると言えるのだろうか?
- その人物との関係をタイムライン (共同幻想) へ開示することで、対幻想を強化する。あたかも、すごい人になれるのだ
- 情報社会下のコミュニケーションは、肥大化した自己幻想に他の二幻想が従属する形で発生している
- タイムラインに他人の投稿をリツイートするうことで、自己幻想 (プロフィール) を演出しようとしている
- SNS 垢を削除しても、一つのプラットフォームからの非接続になるだけ。インターネットの外部などとっくにありえない生活になっている
- 21 世紀は自己幻想が肥大化する時代
- 共同幻想に自己幻想を吸収させ発信し、相互評価することで社会的信用が可視化される世界
- 過剰に消費される共同幻想
- ボトムアップの共同幻想への回帰問題
- 自己幻想の肥大化への処方箋は?
- 現代では、共同幻想からの自立がゴールではない。共同幻想を用いて自己幻想強化する人々を制御するために必要なのは、自己幻想からの自立だ
第 4 章
- 今のネットは同調圧力 (主に Samwhere の人にとってはネット = SNS) であり、「みんな同じ」であることでしか自己肯定できない卑しい行為が盛んとなっている。誰か生贄を選びんでみんなで石を投げつけ、自分はまとも側の人間、マジョリティの側の人間だと安心する
- 思考停止、考えないためのインターネットを用いる行為
- インターネットの速さを武器だが、インターネットの本質は情報へアクセスする速度を「自由」に決めれる点にこそある
- 位置 No.2129 揶揄いいな。記事でもあったな
- インターネット上で多くシェアされるものを目指すより、プラットフォームを洗練させることで解決する方がかっこいいな
- インターネットは発信能力を得ても発信に値するものをもっている人間はほとんどいないことを証明してくれた
- インターネットの多様さは一部の天才と変態たちで確保されていることが証明された。大抵の人間の考えていることは少なくともユニークではない。一様だ
- 人類の何割かは発信することでより愚かになっている。これはポジティブに考えて収穫である、証明された
- スロージャーナリズム … あえて紙媒体で勝負する、英国のスロージャーナリズム誌の挑戦
- 発信された情報にあらゆるコメントがつきもみくちゃになった後それらを俯瞰して記事にするってことか
- 専門性があり情報の質がよいため “良質な市民” からは支持される
- 遅いインターネットは広告を採用しない。閲覧数と収入が直結するモデルは、他の多くのメディアと同様に「ムラ」で注目を集める話題にする卑しい行為になる
- この卑しい行為とは、大抵の場合は失敗したり目立ちすぎた人物への非難
- 誰もが発信できる現代では、「書く」ことに「読む」ことより慣れている。伴い、(本質を) 読む力が落ちた。記事の本文すら読まない人いるけどね
- 読むことから書くこと覚えるのが自然であるが、逆になっている
- 潮流 (タイムライン) の Yes/No だけを読むことになっている。本質を読み解かなければならない
- それが世界の見え方、触れ方になっていくのだから
- 人々は共感できる「いいね」で繋がれることに夢中になっており、結果として共感できないものへの視線を忘れる
- ファクト (事実) かオピニオン (意見) か
- SNS はオピニオンであふれている。そう、安価で快楽だ
- あれはよい、あれはよくないという Yes/No
- 意見を述べることで承認欲求を満たす
- 自分が世界に関与している安堵と実感を得る
- 誰かにダメ出しをすれば優越感を得られる
- 「~ではない」という否定の言葉があふれている。簡単だからだ
- 結果、ファクトが軽視され、オピニオンを述べたがりフェイクニュースがたちまちシェアされる。ファクトを捏造されたほうが都合よくシェアされ広告ビジネスの利益となる
- 彼ら/彼女らはフェイクニュースのファクトに関心はない。述べたいから都合がよいファクトを求めている。「信じたい」だけだ
- 彼ら/彼女らは情報 (Yes/No, 1/0) は扱えるが、物語 (情報の相互作用の変化) は扱えない
- ファクトだけ重視しては陰謀論に直結
- 大切なのは、ファクトに基づいたオピニオンを論じることだ
- 批評とは考えることそのものを楽しむ行為 (言葉)。考えることを放棄して安心する行為ではない
- 批評とは自分以外の何かについての思考
- イーロン・マスクの考え方における反対意見はもちろん前者だな
- 自分が発信することで、自分の物語でありながら自己幻想に直接的ではない。(自分以外) 自己の外側にある何か (世界) の関係性についての言葉だ
- これは肥大化する自己幻想の時代に必要な言葉だ
- 「~ではない」(否定で快楽に酔いしれる) より「~である」と肯定していきたいものだ