情熱の泉を内にもちたい

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余談だが、情熱は重力に逆らう血液という表現が僕にはしっくりとくる。

今日は図書館でラインホルト・メスナーの書物をあさっていた。彼は著名な冒険家であり、情熱に生きた結果として著名になった変態だと思っている。僕が知ったきっかけはマロリーについての書籍「マロリーは二度死んだ」の著者であったことからだ。

僕は山が好きだ。わかりやすく困難な試練を与えてくれる山が好きだ。登ったあとの「帰るぞー!」という気持ちがとても好きでたまらない。あとビールはうまい!

山の技術や装備に興味はない。必要だからのその程度でよいと思う。持論として、山に必要なのは体力と哲学だ。

今、こう記録しているのは図書館で書物をあさり感じた思いをあとで見直すためであり、思いの電子化の実験でもある。

さて、本題だ。情熱がたりない。情熱が溢れてこない。たぎる思いが必要だから、冒険家の記録を欲している。

僕は情熱が人生のすべてと思う。情熱は自分を動かし、人を動かし、時代を動かす原動力といえ、ようは「やるぞ!!」だ。「やるしかない!」でもいい。行動に直結すればあとは個性の差でしかない。

情熱は瞬発的にたぎることもあるが、一気に冷めることもあり、でも制御は可能であるから、いつでも湧き出るためのトレーニングは必要だ。アイテムもあるといい。あなたの情熱の泉はなんだろうか?

僕の外なる情熱の源は辛いものを食べる、読書、歩く歩く、友との乾杯。なかなかシンプルになってきた。

辛いものはいい、本当にいい。頭の中がそれだけになり、たぎる思いは汗となり額を流れ、胃腸は悲鳴をあげる。そして、「喰った」。これにつきる。

読書はいい、これも素晴らしい。感じるままにとらえてふける。

歩く、歩くはいい。流れるように歩くとなおいい。動脈は開いて静脈はかけあがり、ぐるぐるとめぐる血、意識はほんのりと足の親指に向けて、あとは前へ前へ。いずれ必ずどこかにたどりつく。

そして、友との乾杯だ。最高の瞬間である。言葉はいらない。そう、同じ時間を生きている複数の肉体にある「一つの情熱の結晶体」と言えよう。

うおーっ!たぎってきた。
さて、読書に戻りますか。

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