- インターネットの登場が、我々をアルファベット (活字) の時代に戻した
- ヘルマン・ヘッセは、技術の進歩が書物の復権を促すと考えていた。「時代が進むにつれ、新しい技術が人々の気晴らしや学びの欲求を満たせば満たすほど、書物の尊厳と
- 現代ほど読み書きが必要な時代はない。それができないとコンピューターは使えない
- 本だけは、昼間なら太陽光で、夜だってろうそくを灯せば読むことができる
- ブッタの足裏
- ブッダの四聖諦 (ししょうたい)
- インターネットが与えてくれるのは、未精製の情報
- 60億冊の百科事典
- 小説の三大文明国はフランス、イギリス、ロシア
- 本には 2 種類あると主張する人たちがいる。つまり、誰が書いたかが大事な本と、誰の持ち物だったかが大事な本 (伝来)
- すべても装幀したわけではない。だからこそ、貴重であり、どの書物が重要かわかる
- 書物を読む際) コンピューターで見るスクロールと巻物、似ている
- 聖アンブロシウス (340-397 ミラノの司教) までは、読書は音読だった
- なぜ?汚い字など読みづらいものは声に出さないとわかりづらかったのでは
- フランス人の手書きの手紙の伝統
- 医師の文字解読 → 薬剤師誕生!
- 手書きの文書をやりとりしなくなると消える職業がある。筆跡鑑定士、大書士、有名人のサインの売買
- 下書きはやっぱ手書き
- 装幀された製本が売られるようになったのは 17 〜 18 世紀にかけて。いわゆる「版元製本」
- 書物は車輪と同じ発明品。発明された時点で進化しきっている
- インキュナビュラ … 印刷技術が発明されてから、1500 年 12 月 31 日の夜までに印刷された書物すべてのこと呼ぶ。ラテン語の “incunabula” から来ていて、もともとの意味は印刷本の歴史を擁する「揺り籠」、要するに 15 世紀のすべての印刷本を指す言葉
- 現代の書物はポスト・インキュナビュラである。1500 年以降は古書商がそう言ったほうが売れた
- 本当の世紀の終わりは 2000 年の大晦日。1999 年の大晦日ではない
- バベルの塔は地球の男性器のようだ
- レチフは、たとえば、「触り屋」なる人物を目撃したと書いている。その人物は、死刑台のまわりの人混みに身を潜めて、斬られた首が落ちるたびに、女の尻を触ってまわるという
- 死海文書 (しかいもんじょ) … あるいは死海写本。死海の北西で見つかった 972 の写本郡の総称
- 権威はいや増すだろう。書物と競合するような新しい発明、たとえばラジオや映画といったものが、印刷された書物から、機能のいくばくか、やすやすと失ってもおかしくないような機能のいくばくかされ、奪い取るような段階に、我々はまだまだ達していない」
- 古書の市場自体が「あら皮」みたいに小さくなっていく
- あら皮 … バルザック小説で、持っていると願いが叶う皮の話。願いが叶うたびに皮は小さくなる
- グーテンベルク聖書は最初に印刷された書物 … 慶応大学で電子化
- 偉大な書物がなぜすごいかというと、我々のことが書いてあるから。親しみやすく現代に通ずる
- 中国は文筆の国、シェイクスピアのニュースを中国は大体的「チャイナ・トゥデイ」で報じた。その理由は、「ここが中国人の国だということを忘れてはいけませんよ。つまり、この国では、分筆が昔から権力と密接に結びついて、非常に重要な役割を果たしてきました。ヨーロッパ随一の、そしておそらく世界随一の偉大な作家に何かが起こったとすれば、一面の五段くらいの価値はあるんですよ」
- ベーコン論争メモってたかなー、別本で
- 瘋癲文学者列伝 1880 年
- 壊し屋。ある図版入りの本で、壊して刻んだら元値の何倍にも儲かる本が何冊かある。そんなふうに専門的にやる人間のことを「壊し屋」という
- 宗教はコカイン。マルクスは宗教を民衆の阿片だと書いたけれども、それは正確ではない、と書いたことがあります。阿片なら、中和し、麻酔をかけ、眠らせるはずです。そうじゃなくて、宗教は民衆のコカインなんです。宗教は人々をけしかけます。まあ、阿片とコカインのブレンドといったところでしょうか
- 買い取りビジネス。売れ残りを処分すると作者に連絡する。作者が買い取る分をはじめてここで印刷する。それを買い取らせ儲ける。悪どいが無駄がない
- 中世の図書館で一番有名どころでも、せいぜい 400 点程度しか所蔵していなかったということが証明されている
- 情報の認識には限界があり、それを超えると耳障りな雑音でしかなくなってしまう
- 華氏 451 度の物語、そして、紙が燃え始める温度
- 史上最初のカミカゼ「サムソン」 … 旧約聖書に登場する怪力の持ち主。自分が閉じこめられている神殿を突き崩し、ペリシテ人を大勢道連れに、神殿の下敷きになって死にました。罪であると同時に罰でもあるという自爆テロ
- 誰でも十五分は有名になれる … 一面のトップを飾るためなら、彼らはなんでもする覚悟です。自分の妻を寝取られたと語るような連中はみんなその仲間です。自己破壊の典型の一つです。最後には捕まって噂になりたい連続殺人者 (シリアルキラー) も同じ仲間です
- 本棚はワインセラーに似ている。全部飲んでしまったら困る。読まなくても読んでもよい。知識の保証
- 文と文章。文はピリオドを打てば終わりますが、文章は最初の一文をしめくくる最初のピリオドを越えて、文章になるんです。「私は家に帰ってきた。」ここで文は終わります。「私は家に帰ってきた。母に会った。」この時点でもう文章なんです
- 書物が守ってくれる。ある友人は、自分の蔵書を温かい毛皮に喩えていました。本があると、暖かい、守られているような感じがするというんです。本があれば、間違えたり、迷ったりしないだけでなく、凍えることもないんだそうです。世界じゅうのあらゆる概念、あらゆる感情、あらゆる知識、そしてあらゆる間違いに囲まれることで、安心と安全の感じが得られるんですね。書庫にいれば寒くありません。書物が無知という危険な霜から守ってくれます
- 読むことを覚えて失った知識があるのではないのか、それがなにかは答えが見つからない。各自で見つけよう
- インドは官能文学発祥の地。世界最古の性愛の手引書「カーマ・スートラ」を生んだ国。「カーマ・スートラ」では、カジュラホ寺院のファサードに見られるような、あらゆる体位、あらゆる形式が描写されています。しかし、一見享楽的なこの時代からすでに、インドは厳格な清教徒化を進めてきました。インド映画が接吻さえゆるさないからね
- 肉体を失い、魂だけになる本 (電子化)
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