ネット怖い、けれどもネット依存

去年からネットが嫌いになった。
正確には、インターネットで人の想いをデジタル化することが嫌いになった。
それでも俺はネットを生業としているネット依存者でもある。そんな俺の独り言。こんな記事にでも共感してくれる人がいれば俺は話しをしたいな。

ネットが嫌いになった。ネットは怖い。
理由は様々だが、1つはネットは便利さがもたらすコミュニケーションの怠惰の背中押し。とてもおそろしい。LINE だの、Facebook だの、そんなツールを介してのコミュニケーションをしたがる人が増えている。もちろん俺もそうだ。「Facebook、Twitterや Line とかやってる?」とツールを介してのコミュニケーションを自分のフィールドに持ち込もうとして逃げていたことに気づいた。伝えたいことがあるなら、足を運んで、声で、ぬくもりで伝えるべきだと思った。極論ではメールもそうだ。まぁメールにはいい面もあるからよしとしよう。

インターネットにより多くの人と一対多を難なくできる世界になったが、その分情熱は分散される気がする。あらゆる情というものはインターネットを介してデジタル化した瞬間に薄くなってしまうと思っている。あくまでも情においてなので、ビジネスにおいては便利なツールたちだと思っている。

もうひとつ、怖いと思った大きな理由がある。これは先日気づいたことだ。
例えば、寝る前、お湯を沸かす待ち時間、トイレ、あげくには信号の待ち時間。これらの「少しの待ち時間」において、スマートフォンを手に取るクセが染み付いていた。特に寝る前の時間が大きな変化、そして日常への異変につながっている気がした。寝る前って一人で静かに考え事をしていた時間だった。明日は何しようかなとか、今日はどうだった。など。今日を振り返る時間であり明日を見ていた時間だった。その大切な時間をスマートフォンやタブレットを介して、ネットにある「ありふれた情報」について触れようとする。本当は「自分にしかない情報」について触れるべき大切な時間なのに。そう、目を閉じ体を休ませ、ゆっくりゆっくりと。

そんなことを考えていたら、ああ、もう1つわかった。
ネットによってチャレンジが減ったんだなと思った。「ネットの情報 == 絶対な情報(レシピ、地図などね)」と言えよう。旅先で知らぬ地に降りたとき、まずは足で探したものだ。近頃は検索する。料理も自身の舌と思考をたぎらせて味付けをしたものだが、ネットレシピが便利で、それのコピーを繰り返す。ああ、気持ち悪い。

でも、ネットにおいて素晴らしいところは歴史など過去においての絶対的な情報(真実はさておき)、変えることができない情報に最速で触れることができることだ。そこは本当に素晴らしい、愛おしいほどに。

少し前まで、インターネットが人々をハッピーにする!と信じていたが、そんなものは必要ないと思うようになった。ネットなんか介さずに自分の手の届く範囲のみんなをハッピーにしてあげてください。

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1件のコメント


  1. 自分で書いた後、読み返して考えてみた。俺がネットを生業にしている理由について。考えるまでもなく、なるべく多くの人と直接関わらずにいられる事。それが答えだと思う。人と面と向かってコミュニケーションが取れない俺にとってはネットは武器である。それでいてネットが怖いとは、矛盾なのか考えすぎなのか。

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